『アマン伝説』を読んで

アジアのリゾート、その源流となるアマンリゾート

ヨーロッパにある、小規模ラグジュアリーホテルや日本の旅館といった、“サービス”や“おもてなし”、“ホスピタリティ”に、東南アジアの誇る“自然”を組み合わせて作り上げられたアマンリゾート

 

彼自身、植民地時代には支配側として、使用人が家にいるのが当たり前の環境で育っており、ある種、アマンリゾートはそれを再現している、とも言えるだろう。

 

アマンには様々な文化の要素が取り入れられ、アジアンリゾートの源流となっている。

実際に海に潜り、潮の流れを感じ、そこがアマンにふさわしいかを判断するエイドリアン・ゼッカとは、海を軸にするリゾートでは敵わない、と感じた。

 

小規模ラグジュアリーホテルを経営する場合、1室2,000万円までなら採算が取れる、というのがエイドリアンの見解。1つのホテル、リゾートの部屋数は40〜50程度と非常に小さくし、その代わりに単価を上げている。京都の旅館にも通じるかもしれないが、初期は秘密めいた感じを出し、口コミでその人気、噂を広めている。

※欧州には、ルレ・エ・シャトーという組織が存在する。

 

アマンリゾートが誕生した時代は、それこそ帝国ホテルやホテルオークラのような大規模ホテルがその威圧感も含め、ラグジュアリーの代表格であったが、徐々にスモールラグジュアリーが台頭する、その先駆けでもあった。

人々の嗜好、好みはそれぞれ違うのだから、大規模でなく、人それぞれに応じた小規模なものが求められるとエイドリアンは予見していた。

 

アマンとは直接関係ないが、エイドリアンもスティーブジョブズ同様、会社を一度離れ(追放され)ていた。(ただし、金銭的なトラブルなので、スティーブとは違うかもしれないが)

 

現在、アマンは海等のリゾート地にしかないが、近年、徐々に都市部にも拡大しようとしている。(東京ものその一つ?)もしかしたら、都市部はその国の玄関機能で、そこから同国内の別の地域に連れて行く為の導線かもしれないが。

 

アマンをはじめとするアジアリゾートの欧米等への進出はどの程度成功するのだろうか。

京都の俵屋の女将さんは、エイドリアンから日本で何か一緒にやらないか、と誘われているが断っている。そして、その俵屋自身も海外展開はしない方針。その理由は非常に面白い。俵屋という存在がフィットするのは、京都という街であり、海外にいってしまうと、日本と寸法が異なるため、その存在は霞んでしまう、というのだ。日本の間、というかなんと言うか、非常に言葉にしづらいが、納得できる。

 

ただし、エイドリアンは日本での展開はあきらめておらず、京都のマギー邸の土地を保有している。(アスキー創業者の西がオークションで競り落とし、アマンに売却している)

 

スティーブジョブズも俵屋を定宿にしていた等、京都には海外の、一流を惹き付ける力があるのだろう。 
 

また、東南アジアリゾートは、当然ではあるが、華僑の世界。それ以外は、土地が必要になるため、やはり富裕層=ユダヤの世界なのかもしれない。フォーシーズンズのイザドアもユダヤ系のはずだ。

 

話は変わるが、「アマン」というブランド名とその土地ならではの言葉「ニワ=庭」を組み合わせるという発想は面白い。(京都の「アマンニワ」。大手町はどうなるのだろう?)

 

あと、想像以上にホテル(ブランド)の売買は頻繁に行われていること。アマンも今はエイドリアンが3億ドルで買い戻しているが、それまでに様々なファンド等が保有している。

 印象に残った言葉、エイドリアン「ホスピタリティ産業ではなく、ライフスタイルビジネスを手がけている。アマンには、様々なライフスタイルのコレクション(リゾート)が存在する。」(アマンリゾートは単なるホテルやリゾートではない。新しいライフスタイルの提案=ライフスタイル、とは、過去の植民地時代、自分が受けた執事達からのサービス、ということなのだろうか。)

フォーシーズンズのイザドアシャープも、ブランドとクオリティ、カルチャー、サービスを売っていると発言。